入試国語と作文と自己成長3
2010年08月18日
前回の読解に続いて 作文が苦手な人の話を少ししましょう。
読解問題が不得意な人の特徴として「自分の固定観念で文章を読んでしまう。」「自分の価値観を引きずってしまう。」というのがあり・という内容を前回に書きました。
作文もそのようなタイプの人が多いようです。
「何も書くことが浮かばない。」
「何を書いて良いのかわからない。」
「何も感じない。」
そのような台詞がでる人がいます。
特に「何も感じない。」という言葉が出る人や
「面白かった。」「不思議であった。」などショートフレーズで終了してしまう場合も多い。
これも自分の固定観念、価値観を引きずっている好例である。
小学生の国語や作文の授業では「豊かな感性」「感受性」「自由な発想」「オリジナリティ」といった
心地よい言葉がもてはやされる。
自由に表現された作文が好例として持てはやされる。
それを引き出すのが国語の授業だと思っている指導者もいる。
また自分が書く作文内容が倫理的に正しいものであることを 自らに課す生徒もいる。
こうなると作文の蟻地獄に陥ってしまう。
ジレンマ、蟻地獄の例はこんな感じだ。
・文章のすべてを自分の感じた言葉で埋め尽くさないといけないと勘違いしている。
・自分がオリジナルで創造したものでないといけないと勘違いしている。
・先生が正しいと感じてくれる文章でないといけないと勘違いしている。
自分で自分に幾重もの縛りを入れてしまっている、固定観念をもって思考をしている人が
多いのです。柔軟性に欠けるとも言います。
学生から社会人になって間が無い人にも同じような固定観念を持って思考の幅を狭めてしまっている人がいます。
一番良い例は 「適性」とか「自分とは何か」という考え方です。
私から言わせると 「自分にあった仕事に就職する。」「自分の適正を見極める。」などという言葉は
「作文は自分の感じたように書くのが良い。」「豊かな感受性を大切に!」と同じくらい無責任で
これからの人間の可能性を無視したフレーズだと思っています。
感受性というのは人生を踏みしめてこそ成長するものであり、様々な勉強が必要な感性です。
子どもの感性はすばらしい!という人がいますが 訓練を積んだ芸術家や詩人の感性の鋭さを
知っているのか?と疑問に思うほどです。
職業上の適正など 努力を重ねた後でないと本物は見えてこないと思います。
何も努力をしていないところは適正も何もありはしないのです。
さて成長の概念の一つ 変化、変容に戻ります。
過去の自分の価値観を否定する。(自分の作文の書き方を否定する。)
そして新しいやり方に挑戦する。そしてそれを身につける。
その繰り返しが 成長、変容だと思います。


